私が国内独学で英語を話せるようになるまで⑤英語を使う仕事に抜擢→人生で一番の孤独な時期→人生を変える決意

こんにちは、千穂です。

しばらくご無沙汰してしまいましたが

シリーズ5回目です。

前回は、

帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期)

というタイトルで

文法、語彙、英会話力全てが
ほぼ0に戻っていた29歳のときから
英語をやり直して
TOEIC初受験で890点を取るまでの6年間

について、お話ししました。

今回は、その続き

英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)

についてお話しします。

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
29歳初海外、仕事でオーストラリアヶ月(上達期1)
帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
退職・通訳学校入学(上達期3)
妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

新たな仕事のチャンス

 

オーストラリア、ドイツ、イタリア、イギリス
メキシコ、ブラジルといった
数々の国での海外公演を含め
様々なことを学んだ劇団・維新派を卒業して

塾講師、家庭教師を続けながら
通訳になる道を探そうと考えていた私でしたが


ウィーンから招聘する
大型ミュージカルの制作スタッフ
というオファーをいただき

ミュージカルに関しても
商業公演制作に関しても全くの素人でしたが

英語を活かせて
大好きな舞台に関われる仕事ということで
思い切って挑戦することにしました。

主要キャストの来日コンサート
ウィーンでの稽古
ニューヨークでの予算会議
日澳のスタッフミーティング

などに全て参加し
ときには通訳もさせてもらいながら

至らぬことばかりでしたが
現場で失敗を重ねながら
たくさんのことを教えていただきました。

そして、この公演がご縁となり
劇場プロデューサーとして
梅田芸術劇場で年間の間
仕事をさせていただくこととなりました。

 

再び英語から離れる

 

ウィーンミュージカルの招聘公演では
制作側として
多くの優秀な通訳さんとお仕事をさせていただき

通訳という世界の奥の深さ
英会話を習得する道のりの長さ

を改めて痛感しました。

「ちょっと言葉がわかるだけでは
仕事として通訳をする水準には
全く達していない」と

思い知ったのも、この公演でした。

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私が国内独学で英語を話せるようになるまで④三単現のSも忘れていた私が対策0の初受験でTOEIC890を取得するまでの6年間

こんにちは、千穂です。

シリーズ4回目です。

前回は、

29歳初海外、仕事でオーストラリアヶ月(上達期)

というタイトルで

初めての海外経験
ヶ月の滞在の終盤に

記憶していない英語のフレーズが口から出て
自分でもびっくりしたこと

などについて、
お話ししました。

今回は、その続き

帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期)

についてお話しします。

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
29歳初海外、仕事でオーストラリアヶ月(上達期1)
帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
退職・通訳学校入学(上達期3)
妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

帰国当日に英会話スクールNOVAヘ

 

1ヶ月のオーストラリア滞在で
外国語を身につけて
コミュニケーションすることの楽しさを
肌で感じ

“英語を自由に話せるようになりたい!”

と、強く強く思った私は

オーストラリアの空気に浸ったままの勢いで
帰国当日に

当時、自宅から歩いて1分の場所にあった
英会話スクールNOVAの門を叩いたのでした。

いのしし年生まれのせいか
「何かをしたい」と思ったらすぐに始めたいタイプなので

いくつかのスクールを比較検討する…ということもなく
「近い」というただそれだけの理由で
NOVAに直行した私でしたが

通いやすく、レッスンスタイルも合っていて
NOVAがきっかけで外国人との交流も広がり
結果としてはとても良かったと思います。

体験レッスンはとても楽しく、すぐに入学を決め
翌日にレベルチェックを受けました。

私が受けた2000年当時は
レベルは下記の通り
10段階に分かれていました。
(調べたところ現在は5段階のようです)

(初心者)7C→7B→7A→6→5→4→3→2→1(上級者)

目安としては

レベル4:旅行などで目的を達成できる
レベル3:日常会話に支障がない
レベル2:ビジネスで英語を使える
レベル1:海外で仕事をできる

といった感じだったと思います。

...

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私が国内独学で英語を話せるようになるまで②大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)

こんにちは、千穂です。

シリーズ回目です。
.
前回は、

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)

というタイトルで

ある意味、順風満帆だった
10代の頃のことを
お話ししました。

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
29歳初海外、仕事でオーストラリアヶ月(上達期1)
帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
退職・通訳学校入学(上達期3)
妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

今回は、その続き

大学で留年・語学習得に挫折(回目の挫折)

についてお話しします。

 


大阪外国語大学へ入学

 

中学、高校の英語の授業には
一応、ついていけていたので

“外国語は得意”と…

まあ、言うなれば

恥ずかしながら

図に乗っていたのだと思います。

せっかく外国語を学ぶチャンスだから
英語以外も学びたい、と

期待に胸を膨らませて
ドイツ語学科に入学した私は

そこで、自分の甘さを知ることになりました。


練習しなければ身につかない


当時、私の通っていた学科では

、年生でしっかりと専攻する言語を身につけて
年生以上では各ゼミにわかれて
それぞれに興味のあることを勉強する

というシステムでした。

つまり、

英語は中高年間をたっぷり使って
語学スキルを身につけたわけですが


大学では

卒論のための文献をドイツ語で読み
論文の要旨をドイツ語でかけるほどの語学スキルを
年間で身につける

ということになります。

最初のうちは、新しい言語が珍しく楽しく
それなりに授業でもはりきっていたのですが

中学校の頃は
学校で手取り足取り面倒を見てくれた

不規則動詞の変化を覚えるとか
名詞の複数形の変化を覚えるとか

そういった、

「自分で練習すればできること」は

自分の責任で、授業時間外に
身につけなければならなかったのです。

今だからわかることなのですが、

「理解したらそれでOK」と思っていた私は
授業で理解したら、それで終わりで

地道な練習をしっかりするという
語学に一番大切な作業を
完全に、怠っていました。

さらに、
...

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私が国内独学で英語を話せるようになるまで①中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)

こんにちは、千穂です。

29歳まで英語が話せませんでしたが
初めての海外経験を機に英語をやり直して
紆余曲折を経て
40代半ばから通訳者として活動をしています。

海外留学や海外在住の経験はありません。
英語はほぼ独学です。

「どうしたら英語を話せるようになりますか?」

私が自己紹介をすると
多くの人から
このような質問をいただきます。

「練習すれば、誰でも英語は話せるようになりますよ」

これが私の答えでした。

だけど

何を
どんなふうに
どれくらい

練習するのか?

というのは

人それぞれ、
その人の現在地によって
まちまちです。

そこで、ちょっと
自己紹介も兼ねまして

私自身がどうやって
幾度か挫折も経験しながら
英語を身につけたのかを

具体的な勉強方法・練習方法・時間なども
できるだけ再現しながら
以下の10回に分けて
お話ししてみたいと思います。

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
29歳初海外、仕事でオーストラリアヶ月(上達期1)
帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
退職・通訳学校入学(上達期3)
妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

では早速、第一回目です。

 

中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)

父と母のこと、海外への憧れ

1971年に人姉妹の長女として生まれた私は、
滋賀県甲賀市で育ちました。

家の裏は山、その奥に大きな池があり
目の前は見渡すばかりの田んぼの中で

子どもの頃は
山や川や田んぼや原っぱで
真っ暗になるまで遊んだ
そんな楽しい思い出ばかりです。

両親はともに
海外に憧れを持っていたようで

父の好きな
エルビス・プレスリーやビートルズ
オールディーズの音楽が
いつも車で流れていたり

進学校に行ったことが自慢だった母は
「家が貧しかったから諦めたけど
できたら、大学に行って
外国語を勉強したかったんよ」
と話してくれたりして

ぼんやりとした”外国”のイメージに
漠然とした憧れを
私も抱いていました。


アメリカ人家族との親交


私が中学生になる頃だったか

近所に
(といっても
車で20分ほどかかる近所ですが)

...

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