私が国内独学で英語を話せるようになるまで④三単現のSも忘れていた私が対策0の初受験でTOEIC890を取得するまでの6年間

こんにちは、千穂です。

シリーズ4回目です。

前回は、

29歳初海外、仕事でオーストラリア1ヶ月(上達期1)

というタイトルで

初めての海外経験
1ヶ月の滞在の終盤に

記憶していない英語のフレーズが口から出て
自分でもびっくりしたこと

などについて、
お話ししました。

今回は、その続き

④帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)

についてお話しします。

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1 中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
2 大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
3 29歳初海外、仕事でオーストラリア1ヶ月(上達期1)
4 帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
5 英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
6 退職・通訳学校入学(上達期3)
7 妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
8 英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
9 通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

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■帰国当日に英会話スクールNOVAヘ

 

1ヶ月のオーストラリア滞在で
外国語を身につけて
コミュニケーションすることの楽しさを
肌で感じ

“英語を自由に話せるようになりたい!”

と、強く強く思った私は

オーストラリアの空気に浸ったままの勢いで
帰国当日に

当時、自宅から歩いて1分の場所にあった
英会話スクールNOVAの門を叩いたのでした。

いのしし年生まれのせいか
「何かをしたい」と思ったらすぐに始めたいタイプなので

いくつかのスクールを比較検討する…ということもなく
「近い」というただそれだけの理由で
NOVAに直行した私でしたが

通いやすく、レッスンスタイルも合っていて
NOVAがきっかけで外国人との交流も広がり
結果としてはとても良かったと思います。

体験レッスンはとても楽しく、すぐに入学を決め
翌日にレベルチェックを受けました。

私が受けた2000年当時は
レベルは下記の通り
10段階に分かれていました。
(調べたところ現在は5段階のようです)

(初心者)7C→7B→7A→6→5→4→3→2→1(上級者)

目安としては

レベル4:旅行などで目的を達成できる
レベル3:日常会話に支障がない
レベル2:ビジネスで英語を使える
レベル1:海外で仕事をできる

といった感じだったと思います。

私はレベル4のクラスを受けることになりました。

生徒が4人までのグループレッスンで
一回のレッスンは40分くらいだったかと思います。

毎日のようにレッスンに通い
1年程度で、レベル3に上がりました。

 

■外国人の友人たちとの交流で生きた英語を吸収

 

NOVAで受けたレッスンももちろん
上達の役にたちましたが

それよりも大きかったのは
NOVAがきっかけで友人になった
外国人講師たちとの交流でした。

NOVAには当時から
実際に教室に通う「駅前留学」の他に
「お茶の間留学」というオンラインレッスンがあって

その拠点が、当時私が暮らしていた
大阪の難波にあり
多くの外国人講師が「お茶の間専門」の先生として
大阪に滞在していました。

通っていた教室の講師Chris(仮名)の友人で
お茶の間の講師をしていたArther(仮名)が
私の所属していた劇団に興味があるということで
あるとき、公演を観にきてくれました。

それがきっかけとなって
ArtherとChrisとの交流が始まりました。

彼らのホームパーティや
当時外国人が多く集まっていたお店でのパーティなど

英語に興味のある友人たちや
時には家庭教師をしていた生徒さんも一緒に
いろいろなパーティに出かけました。

そこで知り合った新しい友人と
ランゲージエクスチェンジ
(お互いに言葉を教えあうこと)をしたり

主宰していた英会話クラブに
ゲスト講師で来てもらったり…。

なかでも、Artherは
のちに私の所属していた劇団に出演することになるなど
交流が深まって

毎日のようにメールを送りあい
お茶を飲んだりおしゃべりしたりと

大切な親友になりました。

こうして、彼らとの交流を通じて
“生きた英語”をどんどん学んでいきました。


■3単元のSも忘れていた私の徹底的な文法やり直し


このように、
NOVAのレッスンや友人となった外国人との交流で
“生きた英語”を吸収していったその背景で

英語の上達の大きな礎となったことが
もうひとつあります。

それは、
塾講師や家庭教師として
小中高生に、英語と国語を教え始めたことです。

所属していた劇団は、
多くの表現活動に携わる集団と同じく

利益を追求するのではなく
“自分たちの表現”を追求していた集団で

劇団活動でお給料を得るということはなく
生活の糧は別の手段で得ていました。

劇団制作を始めた当初は
大阪市が発行する演劇情報誌や
企業の発行する情報誌の編集者として
仕事をさせていただいていたのですが

劇団専任の制作者であることと
編集者であることを両立することが難しくなり
オーストラリア公演を機に
編集のお仕事を辞させていただきました。

別の仕事を探さなければならなかったのですが
昼間は、制作者として劇団事務所にいる必要があるため
仕事をできるのは夜に限られています。

華やかな夜の世界のお仕事も考えたのですが
気の利かない私には勤まらないだろうと思い

大学時代に
中学入試専門の塾で講師をしていた経験があったので

大学の先輩が塾長をされていた塾で
国語と英語の授業を担当させていただくことになりました。

まず最初に、中学1年生から3年生の英語を
担当させていただいたのですが

中学英語の文法も
すっかり忘れてしまっていた私だったので
お仕事を始めさせていただく前に
猛勉強して中学文法を復習し

毎回の授業も、
ものすごく細かいところまで読み込んで
準備して望んでいました。

どのくらい、忘れていたかというと

“She plays the guitar.”
という文章を見て

ああ、三単現のSって、あったなあ!

と、懐かしく思い出したり

Does your mother know?

という文章を見て

なんで、yourの前なのに、doじゃなくてdoesなんだろう?

と思ったりするほど…

(説明しますと
 “your mother”が主語で
 3人称単数なので
 doじゃなくてdoesを使うのですが
 私は「youという言葉が入っているからdoじゃないの?」と
 思ってしまっていたのでした…)

外国語大学を卒業したのに?
と驚かれるかもしれませんが、

大学入試以降は全くといっていいほど
英語に触れていなかったので

そこから考えると10年間
英語から離れていた私は

基礎の基礎と言える
中学1年生レベルの文法も、語彙も
すっかり頭から抜けていたのです。

それが
中学生に授業をするチャンスをいただいたことで

中学教科書の例文を何度も何度も音読し
文法事項を解説し
生徒とワークをして、間違いを直す

という毎日の中で

中学教科書の内容はすっかり暗記してしまい
例文が口をついて出てくるようになりました。

たとえば

Have you been to Australia?

という文章だけでも

その後、7年ほど続く教師生活の中で
おそらく500回くらい
言ってるんじゃないかと思います。

それくらい口に出していると
全く頭を使わなくても
口から出てくるようになります。

こうして
基本文法をマスターして
何百という例文を何度も音読して定着させた

この「机上の勉強」と「音読」
「教えるための深い理解」

そして

外国人との生きた英語での交流という
「実戦の場」

これらが両輪となって
英会話力が伸びていきました。


■英語漬けの毎日


劇団の仕事はもちろん日本語で
当時一緒に暮らしていた夫も日本人でしたが

仕事と、夫と過ごす以外の時間は
文字通り、英語漬けの毎日でした。

どんなことで英語漬けになっていたのかを
ご紹介しますと…


多読

ハリー・ポッターシリーズに夢中になり
夜を徹して読むこともしばしば…。

原書がボロボロになるまで何度も読み

映画のDVDが出れば全て買い
何度も何度も、
日本語字/英語字幕/字幕なしで観ました。


海外ドラマ

“24”にもものすごくはまって
こちらも、夜を徹して観ることも。

展開が楽しみで
日本語字幕で次々に観ていたので
あまり表現などは覚えていませんが…

海外の空気感
アメリカ人独特のアティチュード
考え方や言葉の使い方

などを知る機会になりましたし

“英語を勉強するため”ではなく
自分の楽しいことのために
大量の英語の音を聞き続けたことで
“英語の耳”作りの基盤の基盤になっていたのかな
と思います。

(リスニングの理解力を育てるには
 日本語字幕で聞き続けるだけでは
 不十分だと思うので
 「基盤の基盤」と書きました)

 

洋楽を覚えてしまう

マドンナ、プリンス、マイケル・ジャクソン
U2、スティング、デビッド・ボウイ
ビリー・ジョエル、デュランデュランなど

当時好きだった洋楽を
片っ端から覚えて
英語で歌っていました。

これは、大学時代から続く趣味だったのですが
歌詞カードを見ながら
何度も何度も歌って

当時覚えた曲は、おそらく
500曲を超えているのではないかと思います。


英会話クラブ

一緒に海外に行った劇団の仲間たちを中心に
英会話クラブを作り

毎週一回
初めのうちは、自宅で
のちに、勤めていた塾の教室を借りて

英会話クラブを主催していました。

様々な英会話上達のヒントが書いてある本を読んで
それを実践してみたり

旅行英会話テキストを使って
みんなで練習したり

外国人の友人に
ゲスト講師としてきてもらったり

外国人のパーティに行ったり
英会話カフェに行ったり
英語カラオケ大会をしたり…。

刺激しあえて
一緒に練習する仲間がいることが
とても楽しかったです。


■6年後、対策0でTOEIC初受験して890点を取得


そうして
文法、語彙、英会話力全てが
ほぼ0に戻っていた29歳のときから
英語をやり直して、6年が経ちました。

その頃には、劇団の仕事をしながら
塾と家庭教師で
一週間に15コマ以上の授業を持ち
中学受験から大学受験までを教える中で

毎日大量の英語と日本語を読み
公立私立の中学高校大学の入試問題を
大量に解いていました。

それまで、資格試験にはあまり興味がなく
英検も中学で4級を受けただけで
TOEICも受けたことがなかったのですが

自分の力がどんなものか
数字で把握してみたいと思い
TOEICを受験することにしました。

実力を試してみたいと思ったのと
受験シーズンであまりに忙しく
結果的に対策0で臨んだのですが
890点を取得しました。

英語力も上がってはいましたが

今考えると

入試問題をたくさん解いていたことで
試験問題慣れしていたことも
この得点につながったのだと思います。

 

■新しい人生を踏み出す決意

 

こうして、自分自身の英語力も
伸びていく中で

大学時代の挫折で一度は諦めた

“通訳になりたい”という夢が
再び大きくなってきました。

私の人生で大きな意味を持った劇団の仕事も
オーストラリアでの初海外公演に続き

ヨーロッパ3都市ツアー
中南米ツアー
数々の国内野外公演
新国立劇場と梅田芸術劇場での劇場公演

などを経て

できるだけのことはやりきった

という達成感と同時に

制作者としての自分の限界を強く感じ

35歳のときに

劇団をやめて
新しい人生を踏み出そう

と決意したのでした。

───────────────────

新しい人生を、と決心した私の当時のプランは

塾講師、家庭教師を続けながら
通訳になる道を探す

というものでしたが

そんな私に、またもや
思わぬ転機が訪れます。

⑤英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)に続く…

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