私が国内独学で英語を話せるようになるまで①中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)

こんにちは、千穂です。

29歳まで英語が話せませんでしたが
初めての海外経験を機に英語をやり直して
紆余曲折を経て
40代半ばから通訳者として活動をしています。

海外留学や海外在住の経験はありません。
英語はほぼ独学です。

「どうしたら英語を話せるようになりますか?」

私が自己紹介をすると
多くの人から
このような質問をいただきます。

「練習すれば、誰でも英語は話せるようになりますよ」

これが私の答えでした。

だけど

何を
どんなふうに
どれくらい

練習するのか?

というのは

人それぞれ、
その人の現在地によって
まちまちです。

そこで、ちょっと
自己紹介も兼ねまして

私自身がどうやって
幾度か挫折も経験しながら
英語を身につけたのかを

具体的な勉強方法・練習方法・時間なども
できるだけ再現しながら
以下の10回に分けて
お話ししてみたいと思います。

───────────────────

1 中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)
2 大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)
3 29歳初海外、仕事でオーストラリア1ヶ月(上達期1)
4 帰国後、日本で英語漬けの毎日(上達期2)
5 英語を使う仕事に抜擢(通訳になる夢に一歩近づく)
6 退職・通訳学校入学(上達期3)
7 妊娠・出産・子育て(一旦夢をあきらめ、英語から離れる)
8 英語スクールへ(英語に再び希望を見出す)
9 通訳デビュー・慢心・クレーム・衝撃のテスト結果(2回目の挫折)
10 再び通訳学校へ(上達期4)

───────────────────

では早速、第一回目です。

 

①中学・高校では英語は得意科目(英語力の基礎)

■父と母のこと、海外への憧れ

1971年に4人姉妹の長女として生まれた私は、
滋賀県甲賀市で育ちました。

家の裏は山、その奥に大きな池があり
目の前は見渡すばかりの田んぼの中で

子どもの頃は
山や川や田んぼや原っぱで
真っ暗になるまで遊んだ
そんな楽しい思い出ばかりです。

両親はともに
海外に憧れを持っていたようで

父の好きな
エルビス・プレスリーやビートルズ
オールディーズの音楽が
いつも車で流れていたり

進学校に行ったことが自慢だった母は
「家が貧しかったから諦めたけど
 できたら、大学に行って
 外国語を勉強したかったんよ」
と話してくれたりして

ぼんやりとした”外国”のイメージに
漠然とした憧れを
私も抱いていました。


■アメリカ人家族との親交


私が中学生になる頃だったか

近所に
(といっても
 車で20分ほどかかる近所ですが)

アメリカ人の家族が
引っ越してきました。

お父さんのガーリーさんは
信楽焼の陶芸家。
お母さんは日本人で、
二人の子どもたちは
4人姉妹だった私たちと
同じくらいの歳でした。

それから、ガーリーさん家族との
家族ぐるみの親交が始まりました。

ガーリーさんは
当時からとても日本語が上手で
私たちと英語で話すことは
ありませんでしたが

一緒にハロウィーンパーティや
バーベキューパーティをしたり
焚き火を囲みながら
アメリカの話を聞いたりする中で

異文化への憧れは
ますます大きくなりました。

 

■中学校で「英語は楽しい!」と思う

いつかは英語を話せるようになりたい、と
中学校の英語の授業も
得意科目といえるように
一所懸命がんばりました。

塾などには行かず
(たぶん、当時、塾というものが
 近くになかったような気がします)
教科書の予習と復習をするだけですが

本文をノートに書き写して
わからない単語は調べて…
という作業が好きで

特に英語は
一生懸命やっていたような覚えがあります。

3年生の時の先生が
ビリー・ジョエルが大好きで

「今日習うこの文法は
 なんと、ビリー・ジョエルのこの曲の
 この部分に使われてるねん〜!」

と、カセットデッキを持ってきて
歌詞カードを配り

「みんなで歌おう〜♫」と
授業で音楽を流してくれました。

英語を声に出すのも恥ずかしいのに
歌うのはもっと恥ずかしい…

と、
自意識過剰気味だった思春期の私は

ブツブツと言い訳程度に
歌詞を呟くことしかできませんでしたが

「英語は楽しいよ!」
と教えてくれたのは
この、ちかげ先生だったのだと思います。

 

■高校の授業は私の潜在的な英語力の力強い基礎

高校に入っても
一番好きな授業は英語で

いつしか

大人になったら通訳者として
異文化交流の手助けとなりたい

という夢を抱くようになりました。

高校の英語の授業は

R(リーディング)
グラマー
英作文

と分かれていたように思います。

リーディングでは
予習に力を入れて

わからない単語や表現は調べておき
日本語訳は書かずに
大体の内容を理解しておく

という方法で
毎回
授業を集中して聞くようにしていました。

今思えば、これが
「英語を英語で理解する」ことの
礎になったのかなと思います。

教科書の他に
多読用のテキストもあり

高一の1学期から
相当量の英文を読むことが
求められていた覚えがあります。

グラマーの授業では
とてもとても厳しい先生で
毎回、例文暗唱の宿題があったのですが

その時に覚えた

It’s no use crying over spilt milk.

ということわざを
今でも覚えているほど…

あのときの暗唱は
当時は辛かったけれど

30年経った今も
しっかりと刻まれている
貴重な練習だったと思います。

英作文では
当たった生徒が黒板に書いた英文を
先生が直していくのですが

「こんな言い方もある」
「こんな言い方もある」

と、今でいう
「パラフレーズ」を
たくさん教えてくださったおかげで

「正解はひとつではないんだ」

と知ることができました。

中学・高校で学んだ
リーディングとライティング
そして基本的な英文法は

結果的に、その後10年ほど
英語から離れることになり

一旦、すべて忘れてしまったかに
感じられたのですが

潜在的には
私の英語力の
力強い基礎となってくれていると
今でも思っています。

 

───────────────────

こうして、私は大きな夢と希望を抱いて
大阪外国語大学へ進学するのですが

そこで待っていたのは
語学そのものへの大きな挫折でした。

②大学で留年・語学習得に挫折(1回目の挫折)へ続く…

 

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